クソネミ日記( ˘ω˘)

クソネミが色々考えたりするブログ

【Part2:怒る価値とコストってなーに?】

こんにちアフタヌーン(´・ω・`)

 

明日は雪が降るとか降らないとか。雪が降って、電車が止まって、ゆっくりと会社に行きたいな、などと考えております。

 

本日は、昨日の続きをば。

 

www.ryosan-ri-man.com

 

 

因みに、結論はこちら。

 

1. 組織の中で「怒ること」って、コスト高い割には、あんまり価値がないよね。

 

2. でも、怒らないだけだと、あんまり意味がないよね。

 

3. 怒らなくなったその先に、もっともっと価値のある目的があるよね。

 

最近、怒っていますか?

最近怒っていますか?えっ、怒っている?そうですか、お疲れ様です。

 

今まで、誰にも怒られたことがない人って、おりますでしょうか。怒られた時には、もちろんムカついたり悲しくなることもあれば、「うーん、あれは怒られてもしょうがない」と納得すること、「今となっては良い経験!」と思うこと、多々あるかと思います。喜怒哀楽は人生のエッセンス、好き嫌いに関わらず、今後も人類は怒られていくのでしょう。

 

狭いつながりの中で、誰かが誰かに怒るのは、まぁしょうがないですよね。でも、それが組織単位になったときも、しょうがないことなのでしょうか。クソネミ、会社で何人もの指導社員をしたり、外部指導員として中高生に部活を教えているとき、そんなことを常々考えておりました。

 

特に部活。コーチを始めて、びっくらこいたのです。「分かりました!」と言って分かっていない、言ったことをすぐ忘れる、約束も忘れる、怒られてから頑張りだすので、それを見てイライラ・・・。コーチを始めたとき、練習や試合をするたびにイライラしておりました。まぁ、今考えれば、自分の伝え方に問題があったのですが。

 

そうして家に帰って日記を書くと、「なんで怒ってしまうのだろう・・・本当は怒りたくないのに・・・」と悩む毎日。「怒鳴っていうことを聞かせる」のは、クソネミが最も嫌う指導者であったのに、いつの間にか自分がその人になっているのに気が付いたときは、日記を書きながら一人で泣いておりました。なんでこんなに、実態と理想に差があるのだろうと。

 

怒ることの価値

あくまでもクソネミの所感ではございますが、部活で学生たちを怒っても、一時的な効果しかありませんでした。元に戻り、また怒りの繰り返し。むしろ、長期的には自分のパフォーマンスが下がり、怒られた相手のパフォーマンスも、長期的には伸びず。

 

会社では怒られる立場でしたが、怒られて自分が変わったり、何か成長を遂げた記憶はございません。しかし言うことを聞かなければ怒られるので、相手の希望に沿う行動を取らざるを得ませんでした。そういう意味では、「怒った側」からすると、一時的にパフォーマンスが上がったのかもしれません。長期的にはむしろ、委縮して、緊張して、全部下り坂に向かっていたように思います。

 

また、怒られて重要性に気が付くみたいなストーリーがありますが、いやいや、本来は重要なことこそ先に言葉にして伝えておかないと。相手が重要性を分かっていないのは、伝わっていないからですよ。

 

そうはいっても時間がない!だからリソース節約のために、怒ることによって一瞬で重要なことを相手にわからせるんだ!!という人もいるかもしれません。まぁ、そういう人にとっては、「怒る」というのは、効果的かもしれません。怒りをコントロールできるなら。

 

そんなこんなで、「(組織の中で)怒ることの価値」って、

 

1. 一時的なパフォーマンスの改善

2. 伝えることのショートカット、

 

この2つぐらいじゃないかなと。でも、2の効果を狙って怒るのって、今まで伝える努力を怠っていたことを自分で証明してしまっていないでしょうかね。

 

こんな感じで考えると、組織の中で怒ることの価値って、かなり低いのではと思うのです。また、価値は常にトレードオフ。怒ることの価値の代わりに、何を差し出しているのか(つまりコスト)を、よくよく考える必要もあると思います。

 

怒ることのコスト

上記のような些細な価値を生むために、人は何を差し出すのでしょうか。思いつくコストは、健康、信頼関係、ストレスとか、そういったものでしょうか。また、怒っている人には話しかけたくないし、近くで怒っている人がいるとなんだか気になりますよね。

 

怒られた側って、基本的には緊張したり委縮してしまいます。組織の中で怒るって、本人だけではなく、周りの人にとっても、かなりコストが高い行為だと思うのですが、いかがでしょうか。

 

そして、コストが高いからこそ、防ぎたい。だからこそ「怒りのコントロール」に価値があり、「アンガーマネージメント」なる言葉が生まれたのだと、そうは考えられないでしょうかね。

 

いずれにせよ、「組織の中で怒る」って、コスト高い割には、あんまり意味がないと思っています。結論にも書きますが、「怒ってる暇があるなら、伝える能力伸ばしたら?」と思うのです。最近は「怒らない方が合理的」だと思っています。

 

また、これは半分冗談ですが、無駄が多いうえに、「怒る」って、大半は立場とか年齢が上の人が行う行為じゃないですか。それを利用するって、漫画に出てくる、権力持ったモブキャラみたいで、ダサくないですかね。初期のモーガンみたいな。「俺は偉いんだ!!ウホウホ!」みたいな。

斧手のモーガン - アニヲタWiki(仮) - アットウィキ

 

怒らないこと

この流れからすると、普通は「怒らない方法はこれです」「やっぱり、怒りをコントロールしないと」となりそうです。が、なんだかアンフェアな気がするので、今度は怒らないことの価値とコストを考えたく。

f:id:tennokamisamanoiuto-ri:20180121183703p:plain

クソネミが思いついたのは、おおむね上記の通りでございます ( ˘ω˘ ) 

 

「怒らない」って、実は結構スキル・知識が必要ですし、時には瞬間的に我慢をしなければいけないのですよね。

 

はて、怒らないことの価値ってなんでしょうか。世に出回る情報では、怒ることのデメリットは協調されても、「怒らないことが生む価値」については、あまり触れられていないように思います。平穏さとか、そういう言葉でフワッと終わっちゃう。

 

怒らないことの価値って、なんでしょうか。怒らないことって、何か価値があるのでしょうか。

 

怒らないことの価値

クソネミ的に結論から言ってしまうと、怒らないこと単体には、「価値はない」と思っています。ん?これって、先ほどの話と矛盾致しますな。「怒りのコントロール」に、価値があるんじゃなかったでしたっけ。

 

正確には、「コントロールするだけ」、つまり、怒らないこと単体では、特に意味がないと思っております。優しい人とか、情緒が安定しているとか、そういう印象は与えられるかもしれません。が、それって、組織単位で見たとき、そんなに意味があるのでしょうか。

 

怒らないことの先へ

クソネミが思うのは、怒らないこと(アンガーマネージメントやらウンタラカンタラ)って、手段(選択と言っても良いのかも)ではなかろうか、ということでございます。

 

怒ることによって、やっぱり何かしらの目的を達したいのです。同様に、怒らないことによって、何か目的を達成したい。組織の中において、それはなんざましょうか。

f:id:tennokamisamanoiuto-ri:20180121182140p:plain

怒らないことの目的

恋人と仲良くしたいとか、家族仲とか、そういったことはそれぞれで頑張りましょう。

 

組織の中で、怒らないことの目的ってなんでしょうか。怒らなくなったその先に、何が待っているのでしょうか。答えは沢山あるのでしょうが、クソネミは、単純に、「怒ったときに得られるであろう価値を、最大化する」ことだと思っています。人のパフォーマンスを上げたり、伝えたいことを伝えて、理解してもらったり。それだけ。

 

だから、怒らなくなりました、オシマイ。ではなくて、その先の「伝えること・育てること」のスキルを持っていた方が、「怒りのコントロールの価値」がもっと高まるのではないかと思うのです。もし周りの人の迷惑をかけずに価値を出せるなら、それって素晴らしいことではないでしょうか。

 

おまとめ

怒ることって、目的が鮮明です。威圧したい、パフォーマンスを短期的に上げたい、ショートカットして伝えたい、etc. 一方、怒らないことって、それが目的になってしまいやすいのですが、「で、どうしたいの?」が忘れられやすい部分かなと。その先をいつも見据えていたいものです。

 

ということで、「怒る価値とコスト」について、ごくごく簡単に考えてみました。まとめると、

 

1. 組織の中で「怒ること」って、コスト高いくせに、あんまり価値がないよね。

 

2. でも、怒らないだけだと、あんまり意味がないよね。

 

3. 怒らなくなったその先に、もっともっと価値のある目的があるよね、

 

ということを書きたかったのです。皆様の会社にもいるであろう、怒ってばかりのダメ上司に教えてあげると良いと思います。「課長って怒ってばかりで、コスパめっちゃ悪いですね!!」って。怒られること、うけあいです。

 

ということで、グッバイなら~( ・`ω・´)