【Part 3:承認欲求おばけだぞー(「・ω・)「】
おはこんちは(´・ω・`)
風邪を引いて、昨日はブログ開始から初めて何も書かない記念日になりましたが、そんなの関係ありません。いつも通り、淡々とこなすのです。昨日は会社でエジプト出張を命じられましたが、面倒くさいなと思いながら元気よく返事をして快諾してきたリーマンでやんす。今日のクソネミ神のありがたきお言葉はこちら。
ムハハ、ジャイアントコーンで「大人の白いチョコミント味」なるものを見つけたぞ!!定時後にお前は私の餌食となるのだ!!
— (˘ω˘ )クソネミ (@r535m_m) 2017年10月23日
(`・ω・´)
食べた事がある人は感想を教えてくだないな(まだ食べてない)
早速一昨日の続きにれっつらごーやで。
承認欲求って、本来の意味が伝わってる?
急成長企業を襲う7つの罠 なぜ、7割の企業が創業10年を迎えられないのか?: 水谷健彦
この定義が正しいと仮定しておきます。一見、「ボクを見て!こんなに大きくなったよ」と叫ぶヨ〇ンさながら(意味が分からない人は、浦沢直樹のMONSTERを読む事)、この欲求を求める人物像が浮かびます。こんな人がSNSに居るのかもしれません。が、これが「無い」状態を考えると、それは中々タフな状況ではないでしょうか。
価値ある存在と思われず、尊重されることがない。自分が属する組織・集団から、最低限のリスペクトを得られない。このような状況にある労働環境、家庭環境、その他外部環境にある人が、外界と繋がるツールを持っていれば、承認欲求を求めることになるのは、むしろ健全だと思います。承認欲求を感じられる事で(もちろん最低限のマナーを有することは必要ですが)自分に価値を感じられるのであれば、リスペクトを得られるのであれば、それこそ技術進歩の恩恵ではないでしょうか。
なんでおばけなんて言うの?
この承認欲求について、一方が一方を蔑む姿は時折見受けられますが、個人的には、とても醜い関係に見えます。「承認欲求おばけ」について会話がなされるのは、「承認欲求を求めている人同士」で、より高次(自己実現のステージ)に近い人と、低次(社会的欲求のステージ)に近い人が、同じ層の中でやりあう文脈で使われているように思います。ボクもまたその一部なのでしょう。
生理的欲求、安全欲求を求めている人が同じ層の中で、一方が一方を「そんな欲求、求めてるんじゃねぇ!」という図は見ていて醜いのと同じように、上位に達した人が、下位の層に向かって唾を吐く行為も、褒められたものではないとおもいます。しかし「承認欲求の層」で、これは散見されるのです。
お互い止まってない?
こういったやりとりが「高次のレベルに達するのに必要な作業」であればそれで良いと思うのですが、そうではなく、「あいつは承認欲求が~」「いやいやあいつこそ~」という枠組みの中で止まる事が、最も危惧するべきことじゃないかなと思ってます。
Wikipediaでも同じような内容が記載されています。
※Wikipediaの内容を「大多数の人が、そのように理解している内容」と仮定しています。この文脈では、正確かどうかは問題ではありません。
低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。マズローは、この低い尊重のレベルにとどまり続けることは危険だとしている。
引用先URL:自己実現理論 - Wikipedia
今のところの感想
「承認欲求」という単語が出てくる文脈に関わること自体、(少なくともSNSやネットの記事では)あまり意味がなさそうだな、と思っています。考え始めるきっかけにはなったのですが、一つの階層を抜き出した一つの側面を見て、自分や他人の承認欲求を語る事が、結局自分も相手もその層に縛り付ける(高次を見えなくする)要因になっているように感じています。もう一歩だけ踏みこんで、最終的には「自分にとっての承認欲求の本質」を言葉にしたら、このトピックは終わりたいでやんすね。
鼻水も止まりませんし、お腹も減ってきたし。今日はここらでぐっばいなら~
(´・ω・`)