【Part 4:まだ労働で消耗してるよ!!】 ~君たちは敗北者~
雨の日は気分が落ち着いて大変よろしいですな。しっとりした気分。久しぶりに実家に帰ってきて、まったりしております。普段の家でもまったりしてるんですがね。
仮想通貨に絶賛はまり中なのですが、3万円分ほど詐欺られましてね。えぇ、それなりに落ち込んで...ません!!(・`ω・´)
だってしょうがないじゃないですか。終わったことですし。
明日があります。大丈夫。無問題!!
そんなことはどうでもよいので、本日の主題。
古いモデルの外側を考えましょう。
正確には、そこからの視点。古いモデルと言うのはこちら↓↓
良い小中高に入るため沢山勉強。
良い大学をでて、でっかい会社へGO!!電車でGO!!
飲み会、残業、我慢我慢
住宅ローン?40年ありますけど何か?
24時間働けますか?「ダメポ...」
それなりのポジションゲッツ、子供も育ってきたぞ!
順風満帆なリーマン生活でした。メデタシ。
一部前回ブログと重複しますが、これ、やっぱり現実の一部を切り取った、一部の人の成功モデルでしかないですね。
このレールに乗れなかった人、乗らなかった人、いくらでもいるでしょう。「煽る側」の人たちは、レールに乗っている人を活性化させるべく、「まだそんな働き方しているの?」を問いますが、これはレール上のトーク。
つまり、そもそも古いモデルの外側の人たちは包含しておらず。因みに煽っている人の位置づけはこちらの右上↓↓
※これは「意図的、且つ戦略的に」煽っている方のポジション。意図のない煽りは、一般的に「遠吠え」と呼ばれます。
でも、大きな都市で古いモデルに乗っ取って生きている人よりも、その外側に生きている人の方が多いのではないでしょうか。
例えば、教育、スポーツ、芸術の世界もあれば、学生や主婦もいるし、そもそも資本主義の枠組みでは生きていくのが難しい人もいるわけでして。
煽る人たちは基本的に資本主義信仰度合いが非常に高い(そりゃそのシステムの恩恵を享受してるわけですからね)ので、モデルの外側はあまり気にしていない。
確かに古いモデルを捨ててこっち側へおいで、という煽りは理解できるのです。でも、モデルの外側で語ることがもっとあっていいんじゃないかと思う訳でありましてウンタラカンタラ
( ˘ω˘)
ということで、モデルの外側から見た世界を想像してみましょう。僕は古いモデルで生きてきた人間なので、想像です。そう、イマジネーション!!
「想像してごらん」っていうネタありませんでしたっけ。はい、どうでもよいですね。
良い小中高、大学に入るため勉強(学歴)
これは、古いモデルの中でも外でも一緒に語れるトピックではなかろうか。
例えば、開成、灘、とか、東大、京大、ハーバード、イェール、MITとかって、ある種ブランドですよね。慶應エスカレーターとか。これは古いモデルの中でこそ生きる価値でしょう。
インドの路上で「僕は慶應育ちでね」なんて言っても、金をせびられて終わりますから。
資本の世界で評価される学歴だからこそ、それを手に入れるには資本(金)がいる。ニワトリ・タマゴではないですが、お互いがお互いを必要としているわけですな。
煽る人の中でも、学校教育に価値は無い、という方がいらっしゃいます。まぁ、彼ら・彼女らもその恩恵を受けているので、なんとも言い難いですが。ただ、サラリーマンも皆、その煽りに「確かに」と共感し始めています。
古いモデルの外でも中でも、学歴の価値は薄まっているのです。ゼロではありません。でも、確実にコスパは悪くなっている。昔よりは、高い学歴を持つ価値は低い。
そういう意味では、古いモデルの中でも外でも、学歴というのは共通して語れる部分ではないでしょうか。古いモデルの外側の人にとっては、学歴なんかハナクソと同じです。
別のモデルを辿っても同じ結論に達っしうるというのは、結構面白い気がしますねえ。古いモデルで生きた人も、その外側の人も、「学歴ね、あんま意味ないね」って語り合える世界が大きくなりつつある。これはとっても面白いと思います。
一番損しているのは、概ね30代以上で、必死に高い学歴を求めて手に入れたのに、古いモデルのサクセスストーリーに乗っかれなくて途方に暮れている人でしょう。
でも大丈夫。高い学歴と共に高い思考能力を持っている人ならば、こんな潮流にはとっくに気が付いていますから。
ということで、今の若い世代に限定すれば、学歴のハードルにつまづこうが、興味がなかろうが、これからの時代は徐々にどうでもよくなっていきます。
良い大学をでて、でっかい会社へGO!!
飲み会、残業、セクハラ・パワハラ、我慢我慢!!
まぁモデルの外から見たら、これは意味がないモノの典型ですな。「大企業なんかさっさと辞めちまえ」という声は、古いモデルの外の世界には響かない。もともとそんなものに価値を置いていないし、そこで求められる「我慢」とか、無用の長物ですから。
古いモデルの中から見ても、でっかい(日本の)会社の意義は、徐々に薄まっている気がしますねえ。というのも、僕ら(30代未満)からすると、普通の会社勤めてても、この先がよう見えんのです。そして、日本のでかい会社って、もはやJapan as No.1の時代とは違うんです。ピークを過ぎています。
そんな中、我慢を積み上げたその先に、何も待っていない可能性が大きい。年金ももらえるか分からない(もらえない可能性大)、介護もある、なのに長生きする環境はどんどん整っている。
だから、世代が上の方から見たら、30代未満は我慢する力がないと感じているんじゃないでしょうね。そりゃそうでしょ。ニンジンがぶらながってないし、ゴールもはっきりしない。そこで我慢せぇ、ちゅうのは殺生ですわ。
ネコ可愛い。
24時間働けますか?「もうダメポ...」
これは近々世界遺産に登録予定。この要素を取り込んだシステムって持続可能でないので、遅かれ早かれなくなります。経営者とかでめちゃくちゃ頑張っている人の話とかありますが、それは「システム」ではないですからね。組織として「24時間働けますか」の文化って、現代では価値を生まないでしょう。
これはモデルを問いません。
資本主義の枠組みでは生きていくのが難しい人
身体的、精神的、知能的マイノリティーの人にとっては、古いモデルってやっぱりハナクソ程度の存在でしょうね。この表現使うと、何かしらの障がいを持つ人とかだけ思い浮かべやすいのですが、それは間違い。オリンピックアスリート、EQ(心の知能指数)がめっちゃ高い人、異様に頭が良い人、こういった人たちもマイノリティーです。
この観点からすると、古いモデルって、良くも悪くも平均(普通)に近い人たちが影響を受けやすい世界です。上記のような少数派の人にとっては、古いモデル、そしてそれを煽る側の話って、害にしかならない気がします。
満員電車で疲労してる?いやいや、普通の電車でも苦労してるから。
受験勉強?いやいや、そんなことより飛び級したいんですけど。
子供?結婚?だれでも出来ると思ってるの?
みたいな。
こうやって考えると、この人たちって、「古いモデルに浸かっている人」「古いモデルを煽る人」にはない価値観・視点・意見・情報・経験等、貴重なものを持っている気がしてきますね。
だって元々「ハナクソ改め、古いモデル」に生きていないんだから。
ハナクソ程度の価値しかないモデルの代わりに、この人たちが「平均的でない何か」を持っている可能性、あるんじゃないですかね。一括りにできないマイノリティー。
個人的には、社会が次のシステムに向かうためにも、煽っている人たちにカウンターパンチくらわせるのも、こんなマイノリティー達だと思っています。僕はこれを、「社会の宝」と呼んでおるのです。
割と本気で、「マイノリティの価値を理解出来ないこと」が、バカの定義に含まれる日もそうそう遠くないと思います。
おまとめ
こんな感じで「古いモデルの外側」を想像することで、古いモデルでもまだまだ考える余地があるところ(学歴)、もはや無意味なこと(我慢していこうぜ)、古いモデルにはないもの(社会の宝)、などの見直しが出来ました。
やっぱり考えるのはタノスィーですね。
「我こそはマイノリティ!!」という人には、ドンドン情報発信をして頂きたいですなぁ。
明日も休みだやっほい!!
ということでグッバイなら~(´・ω・`)