【職業としての先生】モノサシってなんだろう
やっほい (´・ω・`)
洗濯物がぐんぐん乾いて、アイロンが捗る土曜日ですね。ハンカチにアイロンをかける時に幸せを感じるのがサラリーマンです。
ブラック部活をトピックにしばらくブログを書いている間、ずっとこれを考えていました。
職業としての先生
皆様は学生に戻れたとしたら、学校の先生という職業を選ぶでしょうか。
僕はサラリーマンという職業?を選ぶ前、何年もの間、「学校の先生になりたいな」と思っていました。度合いとしては、「先生になりたい!...気がする!」ぐらいです。
高校の終わりから、大学時代、大学院時代、社会人になってから、幾度となく選択肢の1つに入っていました。
10年ぐらい、ボンヤリと頭の中にその選択肢がありました。
両親が教員だった影響もあるかもしれません。
両親は教員生活の間、顧問を持ったことはないようですが、いつも生徒との関わりを楽しそうに話していました。
一方、心労が生じて大きく体調を崩していた時期もありました。
外部指導員として活動している間も同様でした。20年以上前から何も変わっていない練習を変え、休みを増やし、それでもチームの成績が上がっていくのは本当に楽しい時間でした。
退部する生徒をゼロにキープしながら、未経験の部活希望者がどんどん増えて、皆が楽しくプレーしているのを間近で見れるのは、何事にも代え難い楽しさがありました。
では、なぜ迷ったか。
1. 労働時間が長くてきつそう。
2. 自分の時間の確保が難しいらしい。
3. 教育困難校の話とか聞くと、
自分には出来なそう。
この4つが頭の中を占めていました。特に4は重要で、「やっぱやーめた」が難しいだろうな、と思っていました。もちろん、良い点も沢山頭に浮かんでいました。
転職してから、先生になりたいという想いは消えました。パッと。
「あの10年、なんだったの?」みたいな。
それは、仕事が楽しかったから。「こんな楽しいのにお金までもらえるんかい⁉︎うひょー!」ぐらいの感じです。
今の仕事はそんな特殊ではなく、立ち上がったばかりの新規事業チームで営業。
前職がウソのように楽しくなりました。
月曜を迎える時の憂鬱さがゼロになりました。
安心してサザエさんを観ることができます。
学生の頃に思い描いていた、「電車で死にそうな顔している人ばっかり。サラリーマンて暗そう」というイメージは、あまりにも視野の狭い見方であったことを実感しました。
あの頃は、サラリーマンが全員、喪黒福造の被害者予備軍に見えました。
「置かれた場所で咲くよりも、咲ける場所を探す」ことが上手くいったケースでした。職場変わるだけで、人生こんなに変わるんかい!!と。因みに渡辺和子さんの本は好きです。
普通のサラリーマンでも、こんな気分で働ける事を知りませんでした。ダーマ神殿は、近所にあったのです。チャモロは賢者が1番です。
両親からの話し、教員になった友人・知人の話し、外部指導員を通じて知り合った先生方から、色々な話しを聞いて、自分の価値観と照らし合わせた結果、僕は先生にならなくて良かったと思っています。
でも、ここまでの内容は全然重要でなくて。
「ポケモンで赤・緑のどっちを買うか」ぐらい、どうでもよいことでして。
最近考えているのは、「この価値観て、学生の間に磨けなかったの?迷っていた時間を、もっと短くすることは出来なかったの?」ということです。
僕の回答としては「否、可能だった」です。
では、なぜそれが出来なかったのか。それはモノサシを持っていなかったから。
職業に対する価値観て、なんでしょうか。
僕は「独自のモノサシ」だと思っています。
これは知識を含めた経験が材料です。 そして、「考える」というプロセスを踏んで初めて料理になります。僕は材料集めと調理法を知らなかったのです。
長い間、手持ちの材料を増やそうとか、新しい調理法があることに気が付いていませんでした。材料と調理法が同じなら、出来あがるのは同じ料理でしょう。その味は調理法の習熟度(考える力)に依存します。
このモノサシの形成は、僕は学校の授業で身につけることは出来ませんでした。
就職を控えた時期に「自分のモノサシってなんだ?」を思考しはじめる人も多いのではないでしょうか。僕はそうでした。おバカさんですね。てへぺろ。
労働時間、給与、業界の雰囲気、キャリア形成、働く場所等、これらの外部要因は今の時代、調べたらそれなりに分かる情報です。
でも、「そこで働いた場合、何を感じるか?」は、モノサシがないとほとんど何も分からないのです。夜神月氏はその点しっかりしており、若くして新世界の神様を目指していたそうです。
今思えば、塾講師をした時に、ヒントの欠片は落ちていたのかもしれません。
今となって分かった自分のモノサシの一つに、「成果はなるべく早く見たいし知りたい、出来れば半年を区切りに」というのがあります。
この観点で考えると、「教育の成果」のスピード感とは、合わないことが分かります。
先生の生産性(アウトプット/インプット)って、そもそも定義が難しそうだし、出来たとしても、インプットしてからアウトプットが確認できるまで、時間を要するタイプの仕事だと思っています。
*インプットからアウトプットまでの時間差は、良い・悪いの話ではなく、ただ仕事によって異なるだけです。
また、別のモノサシとして、「休日は自分にとって思っていたよりも重要」ということ。オンとオフの区切りが明確にならないと自分はダメだと思いました。
過去に戻れるならば、
1. 就職を控えた時には、既にモノサシを持っているべき
2. 就職してからも、モノサシは変わる
この事を自分に伝えてあげたいと思います。
そうすれば、悩んでいる時間も、もっと少なかったかなと。だから大人がいう「色々な経験」が必要なのだと。
今の新規事業が上手く回り始めた(一定以上の累積利益を稼いだ)時、
自分でも、ここにもう一度戻ってきて、「僕のモノサシはこれだよね」というのを考え直して、改めてダーマ神殿を訪れる予定です。
これから就職活動をされる方がいれば、モノサシは準備しておいた方がいいよ、そしてそれはこれからも変わり続けるものだよ、ということをお伝えしたいと思います。
皆様は、友人やお子様や教え子に対して、「職業としての先生」を問われた時、何をおつたえするでしょうか。
今日はここらでバイバイきん(´・ω・‘)