【Part 6:諦めたらそこで試合終了なの?】天才賞とオリンピアン
ボンソワール (´・ω・`)
ドンタコスを考えた人は天才ですね。
夕御飯の前にむしゃむしゃ食べてます (・‘ω・)
目次
はてさて、やり抜く or 諦める、
前回までに2冊の本を比べて、
その後、「ん?ここはまだ分からんぞ?」という部分を洗い出してみました。
これこれ↓↓
それでは左側の部分、1つ1つ、見て参るで候。
・運と要領… 自分で分かるかな?
運といっても色々ある気がする。例えば、時代にあっていないとか。
ニコラ・テスラの、無線で電気を送るアイデア(ワイアレス送電)なんかまさに運が悪い。
生まれるのが100年程早かったんでしょうね。
でも自分も他人も、運なのか運じゃないのかなんて分からない。これは、少なくとも今は考える価値が無さそう。
冷静に考えても、時代が追い付かないほどのアイデア、構想、才能を、自分は持っている気がしない。
要領はどうだろ?全部の領域で要領がいい人は珍しいだろうけど、実用性を問わず、領域を限定すれば、
「ワタシ、習得早くない?」みたいな瞬間て転がってる気がしますわね。
才能とかいうと仰々しいけど、
それって、「要領よくできること」の中に隠れているのではないでしょうか。
・才能ってなんだ?特に自分に当てはめた時
このトピックを取り扱ってから気が付いたけれど、 自分は才能という言葉を大きく捉えすぎていたかもしれない。
影響力の範囲に拘らなければ、才能ってもう少し身近なものなのかも。
・お手本と憧れの違い
これは才能とリンクしている気がする。
気がするー!!! (`・ω・´)
というのも、憧れってどちらかというと、
届かなそうなところ。
お手本は、いつかは届きそうなところ。
そう考えると、
憧れの罠を避けつつ、
良いお手本を見つけて、
努力の方向を定めるってことは、
「自分の届きそうなところ」
を知る事なのかな。で、それを見極めるモノサシというのは、何かに全力で取り組んだ経験、
周りの意見、失敗の経験。
そう考えると、「努力は無駄にならない」というのは、 人生全体で考えれば、ある意味核心をついている気がする。
イメージこんな感じ↓↓
・努力だけじゃあかん
アンジェラ先生曰く、達成=努力^2 x 才能
努力と継続の重要度は「高い」けれど、全てではないと。 才能が含まれている。
才能なんてはっきりとは見えないじゃん!!
でも、「才能の可能性がある領域」を見つけるのは可能なんじゃないだろうか。
・努力だけだと成果は出るか不明。
自己満と成長度合いを勘違いするなよ、ってことですな。
これは世間とか周囲の評価なのかな。小さくても、何か実績といえるもの。
気を付けないといけないのは、
「評価」と「(責任を伴わない)応援」
をごっちゃにしないことだろうか。
「評価は得てないけど、皆が応援してくれている!!」みたいな。 なんか危ないね。
・努力出来る環境
外部環境だからなー、運なのか?
努力が重要なのはわかるけど、ある程度の環境がないと、努力による成功とか達成は無い気がする。
「環境がそもそも手に入らない」という状況は、やはり運が関係していると思う。
極端な例だけど、チリやナイジェリアで、
フィギュアスケートの才能が育ちにくいのと同じ。 なぜなら、環境が整いにくいから。
そこでフィギュアスケートの選手を目指したら、要領よく進められても、
才能って育たなそう。
「自分にどんな環境が必要か」を見極めるのは、 努力の質・量・方向性と同じぐらい大事に考えられるべきだと思う。
こうやって見てみると、「多彩な経験を積む」というのは、モノサシ作りにとても役立つのですな。
ドンタコスも食べ終わったし、残りの項目は明日考えよう!!
グッバイなら~(´・ω・‘)